速筆作家はなぜ速筆なのか考えてみる
昔から筆の早い漫画家、作家が好きな傾向がある。
理由は単純で、純粋にコンテンツの量が多いから=たくさん読めるから=楽しい時間がたくさん続くからである。
漫画家なら東村アキコ先生とか、作家なら森博嗣先生や西尾維新先生。
なぜ彼ら彼女らは、筆が早いのだろう?
速筆を考える
一般的に文章を書くときは
書くことを考える→それを絵、文章にする
のくり返しだと思う。
つま速筆とは、書くことを考えることと、それをアウトプットするスピードが速いということなのじゃあないだろうか。
頭の速さと手の速さとでも表現しようか。
ではどうすれば頭の速さと手の速さは向上するのか?
どっちも遅いぼくだから結論づけるのは難しいけれど、結局は量なのかなと。
東村アキコ先生の漫画、かくかくしかじかには高校時代、嫌というほどデッサンさせられていたことが描かれていたし。
西尾維新先生は、デビュー前に、二年間で十本以上の作品を投稿したいたらしい。
(なんとクビシメロマンチストを3日で書き上げたとか)
量を頑張った結果、物語をつくる脳ミソと、手の速さ両方が加速度的に進化して、進化する。
そういうことではないかと思う。
書いてて思ったけど、そういう努力の跡が見えるから、筆の速い漫画家、作家がぼくは好きなのかもしれない。
あと、たぶん自分なりの物語とか、キャラクター作りの型があるのだろうなと思う。
0から考えるというよりも、ある程度自分なりの公式があって、そこに何かを当てはめているというか。
数学で言うならば
X+Y=いいキャラクター
的な。
ここまで大雑把ではないだろうけれど、あとはXとYに数字を入れるだけ的な、そんな感じなのではないだろうか。そうでないと、説明がつかない事もある。人外、化け物だと言わざるをえない。それが才能というものなのかもしれないが――。
ポジションを取るとはつまり、何者かになるという事
SNSが発達して、何者かになりやすくなった。
この場合の何者とは、一昔前でいうところの芸能人や、プロスポーツ選手などを指す。
世間から認知されて、受けいれられる。
ただ、一昔前は何者かになるための手段が凄く少なかった。
テレビに出るぐらいしかその方法はなかったろうし、出れる職業も決まっていた。
芸人や俳優、テレビスターたちだ。
(日本という国の異常なまでの芸人を持ち上げる風習は、上記が理由だと思ってる。イケメンや美女以外がテレビに出るには、芸人になるしか方法がなかったのだ。あくまで、基本的には)
ただ今の時代、SNSの発達により、何者かになるためのツールが増えた。端的に言えば、有名になりやすくなった。
例えばライターや、編集者など、いままでだったらスポットの当たりにくかった人にスポットがあたる。全員が主人公というか、何者かではあるのだ。
この時に大事なのが、自分が何者であるかを明確にすることだと思う。明確にするその行為を、ポジションを取るというのだ。
ほんとうの意味で自分を確立出来ている人は少ない。だから皆、余裕のある人に惹かれるのだ。自分にはないものを持っている気がするから。人は自分の欠損を埋めようと行動する。
ポジションを取り、コンテンツを作り、自己を確立していく。何者かであればあるほど、人が集まり、より生きやすくなる。
自分に人が集まるとはつまり、自分が主人公でいられるということだ。生きづらいわけがない。昔クラスにもいた、どこかお調子者だけどカリスマ性のあるやつ。そういう人間の周りは、やっぱり人で溢れていた。
彼らは今思えば自然とポジションをとっていたのだ。キャラクターと言い換えてもいい。
キョロ充とは違う、本当の人気者はいつだって余裕がある。
つまりポジションを取るとは、何者かになる=主人公になる=人生を生きやすくするための手段なのだ。
そしてSNSの発達でポジションが取りやすくなった現代、ある意味では人類総ポジション取り時代だともいえる。
間違いなく、まごうことなき新世界の幕開けである。
【羽川翼?】掟上今日子の色見本【感想】
忘却探偵シリーズはほぼ全て読んでいるので購入した。
あらすじ
「掟上今日子は預かった。返して欲しければ、十億円用意しろ」置手紙探偵事務所唯一の従業員・親切守が受けた、突然の脅迫電話。天涯孤独の忘却探偵を救い出せるのは自分だけ。今日子さんのような推理力はもたないけれど、彼には今日子さんとの「記憶」がある。手探りで捜査を開始する守。一方、今日子さんは犯人のもとで目を覚まして――?純白の置手紙探偵事務所VS. 漆黒の誘拐犯! 頭脳戦の結末は!?
面白かったけど、基本的に推理要素はほぼなかった。今日子さんを主人公兼ヒロインとした、冒険譚?誘拐もの?だ。
語り手は親切守という、掟上今日子探偵事務所の警備員。隠盾さんも一応は出てくるのだか、アドバイザー的ポジション。
今日子さんも凄いけど、親切さんも相当に頭がキレる人だなと思った。
推理というか、発想に少し無理があるなとも思ったが、最終的に今日子さん曰く
「数打ちゃ当たる戦法だった」らしいので、一つの案が別に上手くいかなくてもよかったのだろう
作中で、今日子さんの過去に作中で一度触れるのだが、それが化物語内のあるいちキャラクターを彷彿とさせるものだった。
掟上今日子=羽川翼なのか?
今日子さんの口から語られたのは二つ。
- 「かつて戦闘機並みのお値段がついたこともある」
- 「海外を放浪していた時期がある」
お気づきだろうか?
その記録は、あのキャラクター。羽川翼と、大いに酷似する。
忘却探偵シリーズの過去作でも、羽川翼を思わせるシーンはたくさん出てきた。
あと、アニメの声優が同じとか。
(堀江由依)
しかし、あくまで推測の域をでない。
掟上今日子=羽川翼ということが、確定事項として、決定したわけではない。
今後の展開次第では、明らかになるかもしれない過去。
それが今から、大変楽しみだ。
POPEYE 3月号 【二十歳のとき、何をしていたか?】
春休み、なんとなく家でウダウダしているのに飽きて、近所の本屋へ。
そこで発見したPOPEYE3月号。
表紙には数々の有名人の絵と、二十歳のとき、何をしていたか?というメッセージが書かれている。
なんとなく、現在の自分の状況と重なる部分もあって、ぼくはこれを購入。八百円もしたよ。残金一万のぼくには高い出費だった。
なかには、合計31名の、有名人、現在色んな分野で活躍している人たちのインタビューが載っていた。
インタビューの主なテーマは二十歳のとき、何をしていたか?
二十歳なんて、ただの数字だ。
そんな風に言う人もいるのだろけど、それでも二十歳はやっぱり特別で。
過程でしかないのだけど、それでもその時代の彼らにとっては、越えるべき現実だったのだと知ることができた。
読んでて気に入ったのは
他にもいっぱいいるけど。
天才はもちろん昔から天才だし、特別ではあるんだけど、もちろんそれだけじゃなくて。
越えてきた壁があるんだなと。
成功人に共通してるのは、なんとなくだけど足を止めないことなのかなと。
良くも悪くも、後から失敗なんて笑い飛ばせばいいぐらいの気軽さで。
あと、やっぱり頭がいい。
過去の自分のことを、あれだけ客観的に語れるというのは、それだけ自分がどうありたいか、どうあるべきかとコントロールしようとしてきたからだと思う。
特別な人は、特別じゃない日々をちゃんと生ききる事から成り立つ。
ぼくはもう二十歳を数年過ぎてしまっているけれど、非常に参考になった。
いや、嘘だな。
慰められた。
そんな表現の仕方が、正しいと思う。
【映画】ジオストーム【感想】
先日映画【ジオストーム】を観てきた。
天候を意のままにできる宇宙ステーションが開発された近未来、地球は未曾有の自然災害に襲われることがなくなる。ところが運用開始から2年後、宇宙ステーションがウイルス感染して暴走し各地で異常気象を引き起こしてしまう。巨大災害が同時多発的に起きる地球壊滅災害“ジオストーム”の発生を防ぐため、宇宙ステーションの開発者ジェイク(ジェラルド・バトラー)と彼の弟マックス(ジム・スタージェス)が立ち上がる。
久し振りに面白い映画だった。
兄弟愛、ひいては人類愛につながる話。
前提として、地球がなぜ滅亡間際なのかは分からなかったけれど、その設定が面白いと思った。
主人公二人居て、地球視点と宇宙視点で物語は進んで行く。
本当にこうなったらどうしようと、少し怖くなった。
兄弟の微妙な憎しみあいの関係は、よく表現出来ていると思った。
好きだけど、嫌い的な。兄弟が居る人ならなんとなく分かると思う。
天才肌だけどテキトーな性格の兄貴と、秀才でイケメンの弟。
女友達は弟が好きだと言っていたけど、ぼくは兄が好きだ。
男受けする男と、女受けする男の差がまじまじと見て取る事が出来た。
今回みてて分かった、話作りにおける大切なポイント。
・それは、キャラクタードラマ+何かの特別的な要素が大事だという事だ。
今回の話、突き詰めてしまうと兄弟喧嘩の話なのだが(だとぼくは思っている)、そこに上手くSF要素を絡めている。
たぶん、物語の類型って、そんなに豊富な種類は無くて。
+αの要素により、個性が決まってくるのだろう。
それが今回の場合、SF要素だった。
スポーツでもいいし、会社要素でもいいし、まぁ、なんでも良いのだろうけど。
キャラクタードラマだけじゃあ、物語が発展しないという事なのだろう。
俺的評価は
☆☆☆☆★ ☆四つ!!
まあ、別に二回見ようとは思わないけどな!
雪の日にオススメの暇つぶし
先日の大雪。
イン高円寺。
家から一歩出るとそこは一面の銀世界。
ぼくは深夜の徘徊を諦めて泣く泣く家へと戻る。戻って考える。暇だ。
だから考えてみた。雪のせいで外出出来ない時の、家のなかでの過ごし方。
1、ひたすら眠る
もう、寝る。それだけだ。
果たして眠るという行為が人生を無駄に使っているのか有用に使っているのかはわからない。ただ分かっていることは、寝過ぎると頭痛になるということだ。注意されたし。
オススメ度 ☆☆☆★★3つ。
2、ひたすら食べる
つづいての作戦。ひたすら食べまくる。
お腹が満腹になれば眠くなるし、ひたすら寝る作戦との併用も可能だ。食って眠る。それ以上の幸福が果たしてあるだろうか。いや、ない。まるで豚みたいだという話は置いておいて。
問題点として、金がかかる。あと雪の積り方によっては最寄りのコンビニまでいくのですら一苦労ということだ。出前も届かないだろう。シチュエーションが非常に限定される。
オススメ度 ☆★★★★1つ
3、ひたすらネットをする
世俗の情報を知るためにひたすらインターネッツ。2ちゃんまとめやYouTube、ニコ生を閲覧する。
思考とは常に、自分のうちにある情報の組み合わせだ。だからインプットされてない情報をアウトプットすることは出来ない。そしてこれも上記の2つと併用可能だ。目が疲れると眠くなるし、ネットをしながらポテチを食うのは最高の贅沢だ。
オススメ度 ☆☆★★★2つ
4、ひたすら本を読む
アウトプット出来るのはインプットした情報のみ。
家から出れない時ほど情報吸収に没頭する。
ネットと違い遊びが無い分、没頭度か高い。
オススメ度 ☆☆☆☆★星4
つ
とまぁ、他にも色々あるだろうがとりあえずはこんな感じ。
ちなみにぼくは雪かきをしました
進撃の巨人で理解する、小説執筆のハウツー【気付き】
あくまでぼくは作家志望なので、日々執筆していく中で気付いた事でも記しておこうかなと。備忘録的な。
まず、小説というものがどのようにして成り立っているのかを定義したい。
現段階のぼくの考え
とある世界観で、とあるキャラクター(たち)が、どう行動するかを、文章で記すもの。
漫画と小説の違いは、キャラの行動を画で示すかなのかな。
キャラクターが行動する。
それにはモチベーション(動機)が必要だ。
行動に値する動機。
それが書かれていないと、無理やり動かされている感が強くなってしまう。
キャラが自然と、無理なくそうなるだけの理由が必要なわけで。
例えば進撃の巨人における、エレン。
彼の表立ったパーソナリティーは、普通の若者然としている様相だ。
しかし、過去母親が巨人に喰い殺されてしまうというエピソードがある。
そのエピソードにより、エレンは巨人を憎み、殲滅したいと考え始めるわけだ。
登場人物をつくるときには、こういう風に過去まで作る必要がある。
今の性格を形成するに納得するだけの、過去の掘り下げ。
昔はそれを理解出来ていなくて、書きたいシーンだけをただ羅列しているだけだった。だからキャラクターがなんとなく地続きじゃなかったし、なんとなく違和感があったんだな。そうなると、しっかり作るべきは、物語におけるどこなのか、見えてこない話でもない。
と、まぁこんな風に一人ずつキャラを作っていき、世界観という台座の上に立たせるわけだ。
キャラクターたちが絡み合い、因果を生みつつ、葛藤を作りつつ、それが物語となり、どんどんと前へ進んで行く。
それを記すのが文章なわけだけど……。
正直それに関しては、まだ理解が全然及んでないというか。
たぶん、個性が色濃く出る部分なのだろうと思う。
出来るだけ簡単に、簡素に書くのを良しとする先生もいれば、難解に、文章そのものに価値を持たせるように書く先生もいる。
だから一概にこういう風に書くのが良い、というのはぼくにはわからない。当たりまえだ、デビューもしてないのだから。しかしよく言われているのが、文章に関しては、書けば書くほど上手くなるという話だ。
ぼくの執筆歴は、約二年。
書き始めた当初は、短編一つ書き上げる事も難しかったのに、今では長編だって、書き上げる事ぐらいなら出来る。内容のクオリティは置いておいて。小説を書く体力的なものはついたのかもしれない。そんなものがあるのかどうかは知らないが。だって目に見えないし。
……と、まぁこんな感じです。備忘録でした。
ドラえもん展に行ってきた【感想】
【RIZIN】五味隆典という男【大晦日】
僕は漫画が好きだ。
ドラゴンボールが好きだし、ワンピースが好きだし、少女漫画も好きだし、、、。
ではなぜ漫画を好きなのだろう?
正月休みで暇なので、実家のこたつに入りつつ考えてみた。
漫画のどこが好きなのだろう。
少し考えてわかったこと。
面白い漫画というのは、主人公やキャラクターに個性があって、なぜか分からないけれど惹き付けられてしまう。つまりはキャラが魅力的なのだ。
キャラが魅力的。
華がある。
ぼくが五味隆典という男に対して抱くのは、そういった類の感情だ。
華に、惹き付けられる。
五味隆典vs矢地祐介
テレビで見た人も多かっただろう。大晦日のRIZIN.大晦日の格闘技といえば、ある意味で恒例と化しているが、そのイベントで行われた一戦。五味隆典vs矢地祐介。
新旧エース対決と目されたその試合は、たぶん誰もが矢地祐介の圧勝だと思っていたに違いない。五味隆典の事が好きで、長年追っているファンこそ、現在の五味隆典を知っているから、勝つだなんていう予測は出来なかった筈だ。ただ、希望は抱いていた。希望というか、願い。勝ってほしいとは願っていた。
五味の試合は31日の7試合目。
ぼくは地上波で見ていただけだったから、なるだけネットの情報を頭に入れないようにしていたのだけど。
放送がはじまる。
煽りV→入場→試合という風に展開していく。生放送ではなかった。
でもこんな凄い入場を久しぶりに見たし、煽りVも凄かった。間違いなくその日の主人公は五味だった。なんとなく、ロッキーtheファイナルを思い出したのはぼくだけではないだろう。
入場曲はマッドカプセルマーケッツのSCARY。昔から変わらない、お馴染みの入場曲。
歓声がすごかった。会場に行っていた人から聞いた情報によると、この日一番盛り上がったのが五味隆典の入場、そして試合だったらしい。
そして試合が始まる。
序盤からイケイケの矢地選手に対し、五味は防戦一方。なぜかフラフラしているし、このまま終わってしまうのかとも思った。
そんな中、五味の放った右フックが矢地選手の顔面に命中する。フックが当たり千鳥足となる矢地選手に五味は右のボディフックを連打する。鬼神の如き連打。そのままアバラが取れてなくなってしまうのではないかと思った。
そのまま倒れた矢地選手に対し、打ち込まれるパウンドの雨あられ。
下からなんとか凌ごうとする矢地選手に対してまるで何も気にすることなく、ただ拳を落とす五味。会場の熱気は間違いなくこの瞬間が最高だった。観客の歓声で、実況の声も聞こえない。
このまま勝つのではないだろうかーー。そう思った最中、矢地選手の三角絞めが極る。一度は抜けた五味だったが、再度形になると逃れることは出来ず、あえなくタップアウト。試合は五味隆典の敗北で決着した。
五味隆典の敗北。それは最近見慣れたシーンだったのかもしれないが、それらの敗北とは一味も二味も違う。全盛期の五味隆典が垣間見る事ができた。
試合後のマイクで、矢地選手が話している間、五味は笑っていた。
「勝ちたかったけど、しゃあねぇえなぁ」
そんな声が聞こえてくるようだった。
五味隆典は大人になった。
火の玉ボーイは、もう40になろうというおじさんだ。十数年前の、あの頃の大晦日とは違う。違うのだけれどーー。
あの日の夜は間違いなく、あの日見たPRIDEがそこにはあった。
五味隆典という男が、いったいどれだけスターなのか。
誰よりも刹那的て、破壊的で、天然で、暴力的ながら、カラッとした清々しさのある男。
たぶんもう、今後こういう存在は現れないのだろうなと思う。
強いだけではダメなのだ。たぶん。
強さ+何か。
その何かを持っている事こそが、スターの条件に違いない。