平成の振り返りと、令和をどう生きるか。そして30歳成人説
村上春樹という今さら説明するまでもなく日本で一番有名な小説家の言葉に、このようなものがある。
30歳成人説。
今現在、成人とされる年齢は20歳であり、もうすぐ18歳になるそうだ。20歳といえば現在のぼくより6年も前のことで、まるまる小学校を入学から卒業まで過ごせてしまうほどに長い時間の筈なのだけれど、それほどまでに昔のこととは思えない。よく使われる言葉ではあるが文字通りに、まるで昨日のことのように思い出す。
当時のぼくは、今よりずっと迷っていた。いや、今でも迷ってはいるのだけれど、そんな今よりずっと迷っていたのだ。当然道にではない、人生に迷っていたのである。
何をしたらいいのか分からない。そんな漠然とした、暗澹たる想いに常にとらわれていた。
中学時代からブラジリアン柔術という格闘技を始め、高校になるころにはそこそこ試合で勝てるようになった。しかし試合に勝ったところで特別見返りがあるわけでもなく、周囲の人もそれを当たり前として考えているようだった。ブラジリアン柔術とはそういうもの。今でこそ、昔とは少し違う立ち位置になったとは思うけれど、当時はそういうものだった。見ているだけでは何も分からない、やれば魅力も少しは分かるだろうけど、それでもやるまでのハードルは他のスポーツに比べて高いように思う。あくまで格闘技だし、人と絡み合うスポーツ(武道)だからだ。あくまで誉められたい、認められたいぼくにとって、柔術は少しだけ、大人のスポーツ過ぎたのかもしれない。それともぼくが若かっただけか。その両方か。
そしてぼくが至ったのは、他ジャンルに挑戦するという発想だった。今でいうMMA、総合格闘技だ。高校を卒業して数年やったが、その頃にはすでに日本格闘技界は斜陽を迎えていて、大きなイベントもほぼなかった。あってもDREAMくらい。でも正直、すぐ近い未来に潰れる気しかしなかった。
案の定、DREAMは活動休止となり、日本国内からはメジャーイベントは消えた。ぼくはこの頃にはほとんどやる気を失っていたように思う。
まさしくこの頃、どうしたらいいのか分からなかった。なにを目指したらいいのかも分からない、そんな時代だった。
たぶん、とにかく認められたかったのだろうけど、少しばかり出来るだけの格闘技じゃあそれは無理だった。そもそもチャンピオンクラスでも食えない人達をたくさん見ていたから、どんどんその道は無理だろうと考えるようになっていった。(怒らないでください)
それからは色々やった。一番迷走していた時期のようにも思う。しかし迷走していた中で、漫画家の先生のアシスタントのバイトをやった。これがよかった。やりたいことが見えてきた気がした。昔から漫画や小説が好きだったし、これを作りたいと思うようになった。
そこからは毎日こつこつ、ワードを更新する日が続いた。少しでもいいから毎日すること、それの大切さは格闘技から学んだことだった。
まだ受賞には至ってないけれど、だんだんと予選を通過出来るようになってきた。某小説大賞では三次落ち。某賞では二次落ち。つい先日も漫画脚本大賞というものに出した。近い将来、芽がでればいいと思う。漫画も小説も突然出来上がるものではない、毎日一ページずつでも更新することで、結果出来上がるものだ。
そしてなぜかこの頃にはまた格闘技が楽しくなっていた。たぶん、成り上がるとか認められるとかどうより、純粋に技術の向上だったりを目的としてトライすることが出来るようになったからだと思う。つまりは大人になったのだろう。6年ぶん。
それはたぶん、すべてそう。格闘技も、創作も、それこそ平成も。
平成は完結した。平成という時代は、なにげない1日1日の積み重ね。平成だけでなく、昭和も。昭和どころか大正も。その前もずっと。
だから間違いなく、未来もそうだと言い切れる。令和もそう、1日1日の積み重ねだ。
平成とか令和とか、そういうものにとらわれすぎず、1日1日を積み重ねる。自分の目標にむかってただまっすぐに。
そうやって生きて、いずれ死ぬときに。
自分の時代が完結する。
真に生きるべきは、昭和でも平成でも令和でもなく、自分の時代。そう確信している。
令和4年。ぼくは30歳になる。
その頃は今よりもっと、自分のやりたいことが明確に、そして今より結果が出せているように、その為に日々をしっかり丁寧に生きたい。未来は何が起こるか分からないけれど、いずれ死ぬ事だけは確定している。いずれ終わるから、その時まで。