上京してから

本/映画/文筆  26歳男性 https://twitter.com/krrtats

メイウェザー天心戦を見た、親戚の叔母が抱いた感想

早いもので新年を迎え、2019年となった。

新年を迎える前には大晦日があり、2018年がある。2018年の大晦日、格闘技団体RIZINで、あるスペシャルカードが組まれ話題となった。


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それが那須川天心VSフロイド・メイウェザーjrのボクシングマッチである。

 

すこしでも格闘技を見聞きしている人ならば、いや、していなくてもこの組み合わせの異常さに気付くだろう。組まれた時点で色々とツッコミたいポイントはたくさんあった。

 

二人の体重差は?

メイウェザーのファイトマネーはいったいどこから出されてるのか??

ルールはいったいどうなるのか??

 

ほかにも多々、、、。

しかしそんな試合ではあれど、決まればワクワクはするし、やってれば見てしまうのが格闘技好きの性であり本質だ。結局そうなってしまった時点で、この試合が組まれた意味はあったのだと思う。例え結果がどうなったとしても。

 

晦日、ぼくはテレビの前に釘付けだった。

なぜだかわからないけれど、緊張もしていた。天心はもちろんすごい選手だし、天才だとは思うけれど、向かい合っているのはボクシング史上、いやスポーツ史上最天才といってもいいメイウェザーなのだ。そんな人物の試合を見れるだけでも幸福と思うべきなのかもしれない、年越し蕎麦を前にそんな事を考えたりもした。

 

結果は残酷なまでに現実的で、一切のファンタジーがない、あるがままを見せつけられた。

 

天心は一ラウンドに三度のダウンを取られノックアウト負け。あんな風に足がもつれる天心を初めてみたし、心が折れる瞬間をみた、そんな気がした。泣きじゃくる天心をみて、ぼくの口からは思わず「エグいな……」という言葉が漏れていた。そう、エグかった。どうしようもなく。

 

試合前の煽りから、試合内容、そして負け方。負けた後の涙。もうなんだか、そういうドラマの一話を見せられているみたいで、現実味がなかった。だって相手はメイウェザーだぜ??    現実味なんか無いにきまってる。

 

どこか呆然としたままRIZINの放送が終わり、新年を迎えた。テレビはそのまま、ジャニーズカウントダウンを見た。しかしぼくの脳裏からは天心の泣きじゃくる顔が離れなかった。残酷な現実は、幻想を破壊する。日本格闘技はある意味で、幻想を商売にしているところがある。ロマンとかストーリーとか、そういうのが大好きなのだ。だから選手のバックボーンを知りたがるし、煽りVが人気だ。

 

🎍

 

元旦の次の日。

ぼくは実家のある群馬へと戻った。

そこには親戚の叔父や叔母も来ていて、いいとしなものでお年玉を貰うこともせず、つまらない世間話に花を咲かせた。ぼくはずっとお茶を飲みつつ寿司を食べていた。

 

ふとしたタイミングで、叔父がいった。

「そういえば、大晦日の格闘技見たか?」

叔父はぼくが格闘技が好きだということを知っている。

「見たよ」

「アレすごかったなぁ〜。メイウェザー、やっぱ強いな」

メイウェザーがボクシングルールで強いのなんて当たり前なのだが、そんな当たり前をいざ目の前にすると、やっぱり驚いてしまうものなのだろう。叔父は酒も入り、どこか興奮した様子だった。

「な、一緒に見てて、すごかったよな」

と、隣に座っていた叔父の妻。つまりはぼくの叔母へ語りかける叔父。話しかけられて叔母はすこし、静かになった。そして

「……可哀想だったわ、あの子」

と言ったのだ。

 

叔母のシンプルすぎる感想に、ぼくは驚いた。しかしその感想は、なにより素直なものに思えた。素直でもっとも尊重すべきもの。ふだん格闘技を見ない叔母だからこそ言うことの出来る、可哀想だという感想。

 

格闘技をすこしでも知っている人は、可哀想だとは思わないだろう。ルールをお互い把握して、お互いに倒せると思っているからこそ向き合っているのだ。闘犬とは違う。闘わされているわけではない。あくまで自分の意思で、リングの上に立っている。

だから可哀想だとは思わない。

好きな選手なら残念だとは思うけれど、それだけだ。それだけの話なのだ、勝ち負けなんて。

 

しかし叔母は可哀想だといった。

「あんな泣いて……大人の都合で、振り回されて」

天心は恐らく、大人の都合で振り回されたわけではないと思う。いや、もちろん多少はあっただろうが、それでと本人は勝てると思っていただろうし、倒せると思っていただろうし、そういった旨の発言だってしていた。

 

だから可哀想だなんていうのは、本当なら、罵倒より酷い侮辱なのだと思う。同じ目線でみてあげていない。はじめから天心とメイウェザーを、同格として扱っていない。

 

叔母はその発言を、悪意なく言っている。天然で侮辱めいた発言をしていることに気付いていないのだ。

 

……しかし、ぼくはすぐに気付いた。

叔母の年齢はもう五十歳にもなる。

天心は二十歳。

つまりは叔母は、天心を子供として扱っているのだろう。負けた後の泣き顔も、それに拍車をかけたのかもしれない。

 

別に馬鹿にしているわけじゃない。

ただシンプルに。素直に。天然で。

叔母の目には子供を虐める大人ーー。としてメイウェザーが映っていたのだろう。

ぼくとは違う、天心メイウェザー戦の感想。

こういう捉え方もあるのかと、ただただ素直に思った。

 

 

天心と歳の近い、ぼくの思うこととは違う。

可哀想だなんて、思えない。

そんな残酷なこと、思わないではなく思えない。と、新年早々考えたのだった。