上京してから

本/映画/文筆  26歳男性 https://twitter.com/krrtats

最近見た映画の中で一番面白かった、「セッション」という映画について

アマゾンプライムで一際評価の高い映画があったので見てみることにした。

それが表題にもある、「セッション」という映画である。

 

セッション(字幕版)
 

 

ぼくは普段、面白いという事に対するハードルが凄まじく低い。美味しいというものに対するハードルも低く、女の子に対し可愛いと思うハードルも低い。

 

 

あらゆるハードルが低い人格で、だからこそわりと何でも楽しめてしまう。

それはある意味で安上がりだし、生きていくうえでも得をしているーーとも思う。

しかし、そんなぼくでも 

「あぁ、これは他の映画とはモノが違うな」と思える映画はたまにあって。

それが、今回紹介する「セッション」という映画である。

 

 

あらすじ

 

名門音楽学校へと入学し、世界に通用するジャズドラマーになろうと決意するニーマン(マイルズ・テラー)。そんな彼を待ち受けていたのは、鬼教師として名をはせるフレッチャー(J・K・シモンズ)だった。ひたすら罵声を浴びせ、完璧な演奏を引き出すためには暴力をも辞さない彼におののきながらも、その指導に必死に食らい付いていくニーマン。だが、フレッチャーのレッスンは次第に狂気じみたものへと変化していく。

(シネマトュデイより引用)

 

映画全体の時間は約一時間半と、あまり長くはないのだけれど、それよりもっと短く感じた。短く感じるということは、つまるところ内容が詰まっているという事の証明でもある。

詰まっている人生ほど、短く感じると同じで内容のある映画ほど、あっという間に終わってしまう。

 

この映画、初めから終わりまで、落ち着くところがない。ずっとハイペースで物語は進んでいき、そのペースをキープするどころが、最後の九分十一秒に関しては、さらにテンポアップするのだ。

 

そう、ラスト九分十一秒。

それがこの映画の核となる部位である。

そのラスト十分弱のために、これまでのストーリーはあったといっていい。

主人公はぼろぼろに、打たれつくし、もうだめだ、これで終わりだという、その時。

そういうタイミングでこそ、才能の神様は微笑むのだ。そういう意味で、才能というやつはすごく残酷だし、刹那的で、保ち続けるのが難しいものなのだと思う。

 

最初は無自覚的に、周りだけが気付く。

才能を持っている人間は、その才能に気付くことをせず、ただ発揮する。

 

現実でもそうだと思う。

例えば自分の子供に特別な才能があることに、一番最初に気付くことが出来るのは、子供本人よりその親だろうし、先生だろうし、大人だろう。そういう意味で、才能はそこにただあるだけじゃ磨かれない。

 

誰かに見つけられて、育てられて、初めて形になる。宝石の原石とかと、そこに至るまでの過程は一緒なんじゃないかなと思う。

 

一見すると路傍の石コロ。しかし見る人から見れば、才能の塊ーーみたいな。そういう事が人生ではままある。そういう意味で、才能を見つけ育てる人にも、スキルや能力が求められる。

 

師匠と弟子。

お互いがお互いでなくてはならない理由がそこにはきっとある。例えどれだけ歪つであろうとも。見えない絆が、そこにはあるのだ。