上京してから

本/映画/文筆  26歳男性 https://twitter.com/krrtats

過去を考えすぎても終わりがない=生産性が悪い


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脛に傷の無い人間は居ないと思っている。

誰にだって過去の辛い記憶はあるだろうし、トラウマだってあるだろう。ぼくにだって思い出したくない過去の一つや二つ。いや、三つ四つと、無限大に存在する。不意に思い出した瞬間、なぜか奇声を発してしまうし、夢にみたら起きた瞬間に枕を壁にぶん投げる。

 

それからその過去、黒歴史を出来るだけ無かったことにして、何も感じていないふりをして、また現実を生きていく。生きていかざるをえないのだけれど。

 

(*_*)

 

例えばぼくの抱える黒歴史には以下のようなものがある。

 

・○○○○しているところを親にみられた

・実家でこっそり録画していたアニメのことが、親にバレていた(あまり知られたくないジャンルのアニメだった)

金田一耕介のドラマにはまり、場所を選ばず髪の毛をぼりぼりし、意図的に周囲にフケを飛ばすことに嵌まっていた

 

…………。

 

思い出すと無限大にぼくの精神ダメージが重なっていくだけなので、ここら辺にしておくけれど、もっともっとたくさんある。

その時にとった行動に関していえば、今でも後悔しているし、過去の自分に幻滅する。もしタイムマシンが実在するならば、その時々の過去へと戻り、黒歴史制作中の自分を殺害し、なかったことにするだろう(そして今の自分も消える)

 

しかしそれは現在の科学では不可能だ。

人はあたりまえだけれど、一秒前の過去にすら戻れない。常に進み続けて、スタート地点へ戻ることのない、ジェットコースターに乗っているようなものだ。走り出したら止まらない。徐行したり急降下したり、昇ったり曲がったりと色々だ。

 

人はいつか必ず死ぬ。

そこまでの過程を人生とするならば、経験した辛い事象(トラウマ)に対するアクションとしては、取ることの出来る行動はそう多くはない。と思う。

 

結局のところ、過去は絶対に変えられないのだから、気にしてもしかたがない。

 

忘れるか、過去の出来事に対する現在の印象を変えるかだ。忘れられれば、それは無かったことになるし、もし現在の印象を変えることに成功すれば、それは悪い思い出から良い思い出となる。デロリアンは現世には無いし、過去は変えられない。

 

それでも真面目な人は、過去を考えてしまうと思う。なぜそうなったのかを、分析し続けてしまうと思う。なぜわかる?

ぼくがそうだから分かるのだ。

しかし過去の要因をいくら探ったとしても、あくまでこれから。未来に生かすことしかできない。だから思うのだ。なぜ?より、いかにしてということを考えるべきなのではないかと。反省から一歩先へ。過去の分析で終わらず、だからこうしようという発想へ飛躍させる。過去を考え続けても、何も変わらない。終わりがない。それは果たして、気が狂っているのと、何が違うだろうか。

 

ぼくが言いたいのは、そう。

ただただシンプルに、どっちの生き方のが得っていうか、生産的かなっていう、それだけの話。