星野源はカッコ良くても、星野源似はカッコ良くない
昨今、星野源が人気だ。
清潔感のある塩顔、歌にダンス、演技に執筆、、、マルチな才能。
それでいて、どこか影のある横顔。
アニメが好きで、声優話が出来る、、、。
完璧じゃない所も含めて完璧だと思う。
高須先生も言っていた。
人は欠損に惚れるのだ。
そういう意味で、欠損まで含めて星野源は完璧なのかもしれない。
でも、たまに思う。
何か勘違いしていないだろうか?
星野源似は、カッコよくない!
星野源、よくみれば顔はそこまでカッコいいわけではない。中の上とか、それぐらいだ。
でも、人気がある。
それはなぜか?
人気があるからだ。
演技が出来て歌えて執筆が出来てーー。
つまるところ、それらによって加算されたポイントにより、人気がある星野源。
一般の人は、演技もしないし、歌も出さない、執筆だってしない。
いや、アマチュアレベルではするかもしれないが、プロレベルには達しない。
演技をしてる?
月9には出てないでしょう。
歌を歌ってる?
紅白には出てないでしょう。
執筆をしてる?
本は出してないでしょう。
それらを高いレベルで出来る星野源に、人気が出るのも当然の話なのだ。
紅白でれる人間×ドラマで主演が出来る人間×本が出せる人間×……。
そうやって積み重なった価値の結晶。
それが、星野源という男である。
顔だけ星野源でも、それはただの男とほぼ変わらない。ただの一般的日本男性である。
……彼の登場、活躍は、むしろ我々一般男性が喜ぶべきことであると、思う。
生まれもった造形、つまりは顔に頼らない、新時代のヒーロー。それが、星野源という男なのかもしれない。